母の日の由来は1860年代の南北戦争時代に遡ります。南北戦争は1861年から1865年まで、アメリカ国内で行われた内戦です。
当時、ウェストヴァージニア州は北軍と南軍が駐屯する場所で、ケガ人が多く、衛生環境が悪いこと等の理由から、病人も多い状態でした。そこで立ち上がったのがアン・ジャービスという女性でした。
アン・ジャービスは「母の仕事の日」(Mother’s Work Days)というボランティア団体を結成し、衛生環境を整え、敵味方関係なく、病気やケガをしている人々に手を差し伸べ、救いました。
アン・ジャービスは南北戦争終結後も医療補助活動や平和活動、そして子どもたちへの教育活動等、多くの貢献を続けました。
そして、1905年の5月9日、アン・ジャービスはアンナ・ジャービスという娘を残し、亡くなったのです。
その2年後、娘のアンナ・ジャービスは亡くなった母親の偉大な活動を後世に残せるよう、母が生前、教育活動を行っていた教会にて、記念会を開催することにしたのです。アンナ・ジャービスの母親への想いに共感した人々は、母親の大切さを再認識し、教会へと集いました。
この時、アンナは、志半ばで亡くなった母を追悼するために白いカーネーションを教会の祭壇に飾り、出席者にも想いを込めて配りました。白いカーネーションこそ母のアンが大好きな花だったからです。
そこから、母が亡くなっていれば白いカーネーション、健在であれば赤いカーネーションを贈るという習慣が広まっていきました。
これこそが、カーネーションは母の日のシンボルとなり、現代のカーネーションをプレゼントする文化の由来なのです。
元々は亡くなった母親へは白いカーネーション、健在の母親へは赤いカーネーションをプレゼントしていましたが、母親が亡くなった人への区別を生まないよう、赤いカーネーションが一般的になっていったといわれています。
アンナ・ジャービスへの母親への想いによる集いは、アメリカ全土から注目され、多くの人々から賛同の声が響きました。
そして1915年、アメリカで5月の第2日曜日を「母の日」とする法律が施行され、アン・ジャービスが結成した団体名を元に母の日(Mother’s Day)が生まれたのです。
現在でも母の日には、お母さんへお花をプレゼントしますが、由来となった当時から、母の日はお花と共にあったのです。
今回、母の日の歴史を知って一人の女性がきっかけだったと知り、さらに当初からカーネーションが深く関わっていたことに驚きました。
とても影響力のある方だったのだろうなと思うのと、またその活動に多くの人が救われ、感謝していた証でもあるのかなと思います。
現在も自分の母親にカーネーションを送る風習が続いているのは全てのお母さんに尊敬と感謝の気持ちが強いからだと思います。私も母に母の好きなお花を贈ろうと思います。
みなさんもお母さんに是非お好きなものをプレゼントしてあげてください。
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